「奴隷」
なかなかセンシティブな言葉である。
ちなみにセンシティブの意味はよく知らない、使いたいから使った。
現代では「奴隷制度」というのは悪しきもので、口に出すのもはばかられる言葉になりつつあり、子どもが「うちも、まさよし君ちみたいに性的な奴隷がほしいよー」などと言ったら良識ある親なら「そんな言葉使うんじゃありません! あそこはお父さんが家政婦さんを愛人にしているだけです!」と叱るところである。
しかし過去にそういうものがあったのも事実であり、その事実から目を逸らすのもいかがなものかという話である。
そして人間の中に、人を従属させたいという願望がないと言ったらウソであり、口には出さずとも性的に奉仕する奴隷を持ちたいという欲望を持っている人もいるだろう。
だが当然、実際にやるわけにはいかない、よってエロ創作には「人間を奴隷として扱う」というテーマのものが少なからず存在する。
リアルでやってしまわないために存在するフィクション、とも言えるが、そういう主張には常に「真似する奴が出たらどうする」という物言いがワンセットである。
前に紹介したようなテレポートフェラとかを真似できる奴がいたら逆にすごいが、時にフィクションが「そんなことリアルはんにされたら、こちとら商売あがったりですわ」と嘆かざるえないようなことが起こるのが現実である。
真似する奴、あまつさえそれを超えてくる奴がいないとも言いきれないし、フィクションならなにを描いてもいいのかという議論も尽きない。
このように、創作と倫理の相性は、不良と生徒会長BLの1話目のように最悪である。
さらにBLのように徐々に距離が…ということもなく、平行線どころか末広がりに距離が離れていくように見えたが、おそらく今後は創作の方が倫理に寄せる方向になっていくと思われる。
日和った、とも言えるが、過激なことを描けば面白いというわけでもない、むしろ倫理観を保ちながらどう面白いものを作るかが作家や出版社の腕の見せどころとなっていくだろう。
オシリス文庫作品もそんな「倫理は逸脱せずにエロく面白いものを世に出す」ことをテーマにしているのだと思う、この連載でもちょっと不適切な表現をすると執拗な赤が入るのだから間違いない。
そして今回紹介するのは『よくわかる奴隷少女との暮らし方』という作品である。
漫画家兼コラムニスト。2009年に『クレムリン』で漫画家デビュー。近年は切れ味するどいコラムでも人気。『ひとりでしにたい』『負ける技術』『生き恥ダイアリー』など著書多数。一日68時間(諸説あり)のツイッターチェックを欠かさない。
株式会社KADOKAWA発のアダルトライトノベル。300点を超える官能小説をデジタル初出で配信中。全作品が電子書籍なのでBOOK☆WALKER、Amazon、DMMなどいろんなサイトですぐ購入できます!
(編集部注:全年齢向けです。FANZAでは配信しておりませんのでご注意ください)