みなさんは他人に「自分は小中学生時代の同級生と結婚した」と言われたら、どういう反応を示すだろうか。
テレビカメラが回っている場であれば「素敵!」「ロマンチック~」などと、たいして親しくもない人間の新生児を見せられた時と同じ顔で言うかもしれないが、個人的にオフレコであれば「えっ……」と若干引き気味なリアクションをする人の方が多い印象だし、私の経験上では「オボロッ」とうっかり嘔吐音を漏らしてしまう者もいた。
もちろん、それが悪いわけでもまして気持ち悪いわけでもないが、私が引いてしまうのは「俺には無理っす!」という畏敬の念を持ってしまうからである。
我々はあまりに上位すぎる存在に出会うと尊敬を超えて恐怖や嫌悪を感じてしまう愚かな生き物なのだ。
義務教育時代というのは文字どおり成長途中であり、まだIQがロウな姿や昆虫のような動きを見せている段階であり、もれなくお母さんが選んだ服を着ているのだ。
中学生ともなればある程度の分別は手に入れているものの、今度は悪い意味での自我や邪気眼に目覚めてしまっているのである。
つまり、小中学時代というのはのちに「黒歴史」と呼ばれることが多い期間なのである。
むしろ、この時代にそれらを修めておかないと、大学2年生や三十路になってから発症してしまう恐れがあるため、人間が真の大人になるために必要な第二次成長期のひとつと言っても過言ではない。
だが、必要な過程だったとしても、多くの人間がその時期のことを「なかったことにしたい」と願っているものである。
そんな進化の過程で言えば北京原人時代をお互い見たり見られたりしている相手と正気でつきあい結婚するというのは、人並みの黒歴史を持っている者からすれば「半端ない」ことなのだ。
しかし、逆に言えば、授業中にゲロを吐いたり、給食が食えなくて号泣したりする姿を見ても好きというのは、格好をつけたところしか見てないカップルよりも「ホンモノ感」がある。
創作であれば「幼馴染」というのは今でも人気のポジションだが、現実はそんな甘いものではない。
それと同じようにスイートではないのが「初恋の人」である。
なぜなら、子どもが考える魅力と大人が考える魅力と言うのは全く別であり、子供のそれというのは顔の良し悪しではなく「足が速い」のがいちばんかっこいい、というトサカがデカいのがモテる鳥類みたいな世界観なのだ。
よって、大人になって再会してみると本当に「小学生時代足が速いのだけが取り柄だっただけの人」になっている場合も多く、年上というだけで憧れていた近所のお兄さんはただのおっさんになっていたりするのだ。
だがそういうガッカリパターンが多いからこそ、創作上の「子どもの頃出会ったあの人と大人になって再会し結ばれる」という展開を我々は好むのかもしれない。
今回紹介するのもそういう話だ。
『咲いたなら、摘まずに愛でよ、姫菫 男嫌いのスミレを本気で惚れさせていちゃいちゃする話』
漫画家兼コラムニスト。2009年に『クレムリン』で漫画家デビュー。近年は切れ味するどいコラムでも人気。『ひとりでしにたい』『負ける技術』『生き恥ダイアリー』など著書多数。一日68時間(諸説あり)のツイッターチェックを欠かさない。
株式会社KADOKAWA発のアダルトライトノベル。300点を超える官能小説をデジタル初出で配信中。全作品が電子書籍なのでBOOK☆WALKER、Amazon、DMMなどいろんなサイトですぐ購入できます!
(編集部注:全年齢向けです。FANZAでは配信しておりませんのでご注意ください)